4月30日、会員で筑前琵琶奏者の東旭秀さんが西南戦争最大の激戦地であった田原坂で、明治維新の志士たちに捧げる鎮魂歌として慰霊塔に「秋風故郷の山」を捧げられました。東さんが主宰する「恵美企画」の5周年を記念して主催し、「西南戦争田原坂顕彰会」が支援しました。福岡から東旭秀さんを支援する20名が参加いたしました。藤香会会員では、西田理事、天本が同行いたしました。
慰霊塔うしろの銘板には西南の役で亡くなった人びとの名前が官軍・薩軍毎に出身県別に14,000名刻まれています。明治10年3月20日に田原坂での戦いは多くの戦死者(全戦死者の4分の1の3,660名と言われています)を出して終わりました。福岡県からも多くの人が両軍に参加しました。薩軍に参加した人の中に加藤堅武、武部小四郎の名前がありました。両名とも田原坂の戦いに呼応して数日後の3月28日に起こった「福岡の変」に参加して斬首されました。子孫の方が会員としておられます。
「西南戦争田原坂顕彰会」の谷口憲治さんによると、毎年3月20日に慰霊祭を行って官軍・薩軍の両方の戦死者の御霊を慰霊しているとのことで、両軍を一緒に弔っているのは田原坂だけと言われていました。