黒田家遺訓
- 如水は世には神罰、君罰、民罰の3つがある。
神罰はよく神を畏れ、敬うことで、免れることができる。
君罰は真心を持って主君につかえ、過ちがあっても、十分に反省するならば免れることができる。
政治が悪くて民罰をこうむると、一国が駄目になる。
民罰がいちばんこわいと、政治の根本として話しています。
- 如水の遺訓
総じて国を守護することは、必ず大事なりと思うべし。尋常の人と同じ心得にては成がたし。
まず政道に私なく、そのうえ、我身の行儀作法を乱さずして、万民の手本となるべし。
- 「大身も小身もともに分限をわきまえ、不相応な暮しはならぬ。衣食住とも身軽にしつらえ、貯蓄をおこたらぬようにせよ。
そうすれば一朝有事の際、奉公にも事欠かず、義理にも違(たご)うまい。
武士にとって武具は第1の道具であるが、分不相応のものは無用である。もちきれないほどの武具を持っていても、何の役にも立ちはしない。過分の武具をもつほどなら、下人をやといいれよ。
これとても養える範囲でなければならぬ。馬も必要だが分を過ぎると……」。
- 如水や長政は武士の町福岡と、町人の町博多をわけ、町人の町として中世から栄えてきた博多の特性をみとめ、優遇した。
- 播州には悪口祭というのがあって、その日はどんなに政治の悪口を言ってもとがめられなかった。
長政は町人代表を、その見学にやっていますね。
博多にわかにも、似通ったものがありますね。夏の盆にわかにはどんな批判も自由、
重臣たちはほほかむりをして顔をかくしてにわかを聞いてきて、政治の参考にしろと言っています。
- 福岡という新興の町をつくり出し、博多に制約を加えていない。また領主の交替や減封、改易ということもなく、維新まで一貫した藩政を持続できたことも、明治以後、着実に福岡が発展してきた一因だといってもいい。
- 長政は城内の釈迦の間という1室で、月に1回、身分を問わず、有能正直なものを集めて、「腹立てずの会」を催しています。
何を言われても腹を立てない。遺恨を抱かない。他言はしないという約束の上でですね。
辛辣(しんらつ)な批判で長政がむっとすると、お顔の色が変りましたがと言われて、いやいやと謝ったりしたそうです。
- 黒田家家訓の中に、黒田如水公の晩年の教え「兵法は平法なり」
なるべく戦を避け、政道を正しく、国を治めることが立派な兵法である。