黒田佐兵衛(翠峯宗玉童男)350年忌

2015年10月25日(日)

10月25日(日)、黒田光之公の三男で夭逝(6歳)された黒田佐兵衛様の350年忌が、黒田監物(けんもつ)一族の菩提寺である妙楽寺で執り行われた。当日、妙楽寺では開山忌と藤蔭流の大茶会も同時に催された。法要は黒田長髙様はじめ多くの檀家(約80人)のほかに藤蔭流会員の和装の婦人(約20人)も多数出席され、厳かの中にも華やかな式典となった。藤香会から山崎会長はじめ毛屋副会長、中島顧問、田島事務局長ほか大島、篠原、近藤、原の各理事が出席した。

法要は開山忌から始められ、臨済宗大徳寺派のお寺から出席された20人ほどの僧侶の読経が本堂に響き亘り、圧倒される。引き続き黒田佐兵衛様の350年忌となり、黒田長髙様から一人ずつ藤香会の焼香となったが、多数の檀家さんたちは持ち回りの焼香でした。

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ご法要の様子

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妙楽寺での出迎え

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黒田左兵衛様のお墓

法要が終わり、多くの僧侶が退席された後、黒田長髙様が檀家の皆さんにご挨拶され、山崎会長からは藤香会のお話をされた。その後故人を偲びお斎に入り、妙楽寺の檀家と藤香会との交流の場となった。

法事の始まるまでの時間を利用して、開山堂に隣接する「開山堂侍真寮」で黒田長髙様と一緒に藤香会員も藤蔭流の煎茶のおもてなしを受けた。その後渡邊住職から本堂の裏手にある黒田佐兵衛様のお墓を始め、黒田家重臣の墓石、神屋宗湛の墓地を案内して頂いた。

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藤蔭流による煎茶の接待

*妙楽寺の掲示板

正和5年(1316年)の開基とされ、山号を石城山と号します。山号の由来は、当時海浜の石累上に堂々営構された当寺が、海上から見るとまるで石城のように見えたことに因むものです。創建当初は博多湾岸の沖の浜にあり、遣明使一行が宿泊するなど重要な外交施設の一つでした。天正14年(1586年)に一時消失しますが、慶長5年(1600年)福岡藩初代藩主黒田長政の入国後、この地に移転されました。墓所には黒田家重臣の墓石が立ち並び、博多の豪商神屋宗湛の墓が残ります。

*黒田長髙様の挨拶

「妙楽寺を訪ねるのは初めてですが、渡邊住職には崇福寺で何度もお世話になった。掃除の行き届いたお墓を案内して頂き、住職のお話を聞き、黒田家との縁が深いことを感じた。」038s

*山崎会長挨拶

「藤香会は、黒田家の顕彰と歴史を学ぶ会です。多くの黒田家所縁のお墓のほかに神屋宗湛のお墓があるのには感銘を受けた。」

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