黒田家文書、ユネスコ世界記憶遺産に申請

2016年03月18日(金)

黒田家第14代当主長禮様から福岡県に寄贈され、福岡県立図書館が所蔵する黒田家文書のうち、宝暦13年、14年(1763、1764)の第11回通信使の接遇を記録した「朝鮮人来聘記」11冊と「朝鮮人帰国記」4冊の計15冊が、日韓共同でユネスコ世界記憶遺産に近く申請される朝鮮通信使に関する史料(全111件333点)に含まれた。これらの黒田家文書は、平田会員(理事)が参加された「福岡地方史研究会 古文書を読む会」によって翻刻(活字化)されている。

江戸時代に12回にわたって朝鮮王朝から幕府に派遣された朝鮮通信使を福岡藩は相島(福岡県新宮町)で受け入れ、準備や応接を行った。通信使一行およそ500名、対馬藩およそ400名を迎え、福岡藩からも数百名が相島に渡った。

貝原益軒も出向き、朝鮮側の儒者から朝鮮における李退渓学派の事跡、著述のこと、学校、科挙のことなどを尋ねた。また同行の儒学者と詩文を取り交わす唱和をして交流を行った。

享保の第9回の場合は、一日の食糧が「活雞(生きた鶏)三百余、雞子(卵)二千余個」が消費されたと来朝者側の記録にある。

福岡県からはもうひとつ豊前小倉の小笠原文書のうち、第12回通信使の時に藩主小笠原忠固が対馬まで上使として出向き国書交換を行った時の記録「對州御下向海陸日記」と「對州御滞留日記 文化八年忠固公朝鮮使接待役」も申請された。「對州御滞留日記 文化八年忠固公朝鮮使接待役」は福岡市の「対馬文書を読む会(原順子氏主宰)」によって平成24年に翻刻されている。

福岡藩のおひざ元である福岡市が所蔵する文書・図画類が申請する史料の中にないのは残念なことである。数年前までは福岡市博物館に朝鮮通信使のコーナーがあり、展示がなされていたにもかかわらず。

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