史跡巡りを実施しました

2020年11月10日(火)

11月10日、史跡巡りを実施しました。肌寒い中を会員および家族44名の参加でした。コロナ禍の中で「三密」を避けるため、2台のバスにそれぞれが間隔を開けて着席して、時刻をずらして出発しました。

「令和」の起源となった太宰府の坂本八幡宮では会員の岡部定一郎さんから「令和の教え」として暦の話があった。持統天皇が、一年をいくつかに区切り、それぞれに節供(節句)を決めて、人々の安寧を祈ったことなどを話された。

令和にちなみ暦の話をされる岡部定一郎さん
最初の合流地である坂本八幡宮前で集合写真

古心寺では渡辺桂堂住職が秋月種雄から16代続いて、黒田家に代わったこと、秋月家は日向高鍋に移り、そこから上杉鷹山などの名君が出たことなどを話された。古心寺は大徳寺の江月和尚により山号を長政公の法号から「興雲山」と命名され、代々大徳寺から住職を迎えている。

古心寺で渡辺桂堂住職の説明を聞く会員のみんな

黒田家墓所では秋陽会事務局長の吉田長利さん(本会々員でもあります)から歴代藩主や室のお墓について説明がありました。

古心寺にある黒田家墓所で秋陽会事務局長である吉田長利さん(本会々員)の説明を聞く

隣にある大涼寺は初代長興公の母の法号から命名されている。

大涼寺の山門

秋月の史跡巡りを終えて八丁トンネルを抜けて嘉麻市大隈にある麟翁寺を訪問。住職の話では母里太兵衛は高い身長で筋肉質の人であったことが甲冑から推測されるとのこと。また「母里(ぼり)」は当時の方言かなまりでこれを「もり」または「もうり」と発音していたことから幕府が感状を出すに際して「毛利」としたことで、幕末まで毛利姓を使い、明治になって元の「母里」に変えたことなどの説明があった。樹齢500年にもなるクロガネモチの側の母里太兵衛とその子、孫が並ぶ墓所を参拝した。

麟翁寺の山門
麟翁寺の住職の話を聞く
母里太兵衛のお墓、右に孫、子の墓が並ぶ

小石原に移って、太田和孝さん(本会々員)のマルワ窯を訪問、会員の一人ひとりにご飯茶わんを頂戴した。高取焼宗家では宗家の夫人高取七絵さん(本会々員)から、釉薬の甕、昇り窯、唐臼、粘土を作る水簸等の説明を受け、全て自家で作る由。その後、歴代の逸品の茶碗、茶入れ等が並ぶ部屋で、会員全員がお菓子とお抹茶の接待を受けました。

太田和孝さん(本会々員)のマルワ窯
素焼きした作品と釉薬の甕とが並ぶ作業場、釉薬の調合は一子相伝とか
昇り窯の前で説明される高取七絵さん(本会々員)
唐臼(水を受ける部分)
唐臼(土を砕く先端の部分)

朝倉の円清寺は曹洞宗のお寺で栗山善助(大膳の父)が開基となっている。山号、寺号とも如水公の法号から「龍光山円清寺」ということ等が住職から説明された。

円清寺の住職の説明を聞く会員たち

 

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