歴史勉強会が開かれました

2019年09月20日(金)

9月20日(金)午後1時30分より福岡市博物館講座室で毎年恒例になった歴史勉強会が開催されました。会員および一般の150名を超えるの出席をいただいての盛況ぶりでした。

会場のある福岡市博物館

演題は、「黒田騒動の展開  ――大膳忠臣説を読み解く――」と題して、九州大学基幹教育院教授福田千鶴先生の1時間30分を過ぎる講演でした。

受付け

最初に山崎拓会長は「勉強会において郷土の歴史について理解を深め、郷土を愛するようになっていただきたい。昨年西日本新聞に連載された『福博ヒストリア 黒田家7代の点描』で福岡藩の歴史を書かれた時から講師をお願いして、やっと今年実現した。」と挨拶された。

山崎会長の挨拶

福岡藩は、長政が亡くなった元和9年には大譜代72家、古譜代84家、新修45家があり、1万石以上の家柄は実に7家もあった。忠之は高禄家臣の排除を目指し、その結果として栗山大膳の知行を召し上げ、屋敷を取り囲み一触即発の状態となった。それは大膳のみならず高禄家臣の排除でもあった。豊後府内の竹中重義が福岡で仲裁に入り、大膳を日田に引き取る。大膳が福岡城を退出する時の人数は500名とのこと。

忠之が凡庸であったかについては、長政の教育にこれからは政務の器用(政務に役に立つ技量)よりも多少“うつけ”であった方が良いとも言っている。このことから忠之は“うつけの3代目”と言われ、各藩大名も“うつけ”と認識していた。これが結果的には良かった。

幕府は各藩の家中のことは各藩に任せ、幕府は介入せずとの方針だったため、大膳は忠之に謀叛ありと訴えて介入させたのである。ただし大膳は黒田家(長政)が徳川家康から感状をもらっているのを知っており、これで改易されることはないと見通していたのではないか。

結果的に忠之に謀叛なしとし、一旦領地は召し上げられるが、その日の内に安堵される。

安堵された後は、高禄家臣は忠之から知行を減らされながら貰うことになる。大膳も盛岡南部藩に流罪となるが、扶持を貰って5里四方歩行自由という寛大な処置となった。

戦国期から近世への過渡期に起きた旧武将団と領国経営をしなければならない藩主との軋轢と見ることができる。

講演される九州大学基幹教育院教授福田千鶴先生
プロジェクターを使って説明される福田千鶴先生
150名を超える参加者
質問する参加者(会員)
毛屋副会長のお礼の挨拶

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