長髙様の寺社参詣

如水公ご法要の翌21日、長髙様は黒田家所縁の寺社である光雲神社、桜井神社、高祖神社と金龍寺を参詣されました。

藤香会から毛屋副会長、田島事務局長、篠原理事、天本理事、事務局の松尾さんと黒田奨学会から田中事務局長(当会理事)が同行しました。

高祖神社は本殿の修復が終わったばかりで、檜皮葺きの屋根と彩色を施した彫刻(野狐や木瓜紋など)が印象的でした。修復のための奉賛会は長髙様が名誉会長を務められ、工事は福岡県有形文化財のため平成24年7月から平成29年3月までと4年9カ月に及ぶことになったということでした。

その後、高祖神社の隣に位置する金龍寺を見学されました。この糸島地方を治めた原田氏の歴代御廟のある寺ですが、長政公の二男である政冬公(母は筑紫広門の女)の墓所もあり、黒田家准菩提寺として慕われています。

高祖神社の扁額
葺きかえられた檜皮葺きの屋根
彩色を施された彫刻(野狐と木瓜紋)
高祖神社参詣を終えて
黒田政冬公のお墓(金龍寺)

 

如水公のご法要

如水公の命日である3月20日11時から墓所のある崇福寺で第414回忌法要が執り行われました。

長髙様をはじめ会員73名の参列があり、本堂での読経・焼香に続き、墓前での読経・焼香を行って、12時過ぎに滞りなく終了しました。

今回は、賛助会員の代表者の参加もあり、今までにない参列人数となりました。

その後、タカクラホテルに場所を移して長髙様歓迎の懇親会が64名の参加で和やかに行われました。いつもながら長髙様と会員の懇談、会員同士の交流と話が弾んでいました。

参列の受付をする会員

 

本堂の如水公位牌の前で焼香する会員
如水公墓前で焼香される長髙様

如水公ご法要を前に墓所清掃

如水公の命日である3月20日のご法要を前に、黒田家墓所の清掃を行いました。

清掃当日の3月12日は朝から雲ひとつない晴天の中、会員30名の協力で枯れ枝や落葉、墓石の花入れなどをきれいにしました。

3月のご法要の時期は草がそれほど伸びておらず、少人数で行うことができました。

枯れ枝は、小石原から駆け付けてくれた太田和孝会員の軽トラックに積み込み、処分をお願いしました。

また福岡市文化財保護課からも藤克己管理調整係長が来られて、会員と一緒に汗を流していただきました。

毛屋副会長の挨拶と原理事からの作業手順の説明
参加した会員の皆さん
清掃を終えて参加者全員で記念撮影

忠之公の第364回御忌法要

承応3年2月12日に亡くなった福岡藩第2代藩主忠之公、3代光之公、8代治高公のご法要が忠之公の命日に当たる2月12日、菩提寺の東長寺において執り行われました。

黒田家16代当主黒田長髙様をはじめ藤香会会員およそ50名が参詣いたしました。

ご法要は東長寺ご住職藤田紫雲師の読経の中、参詣者が焼香を行いました。

終了後、老師の法話と長髙様の挨拶があり、長髙様は忠之公は騒動を引き起こした藩主で、負のイメージがあるが、多くの寺社を創建または再建して領民の安寧を祈り願った大名であった旨の話をされました。

その後、昼食をともにしながら木下右二さんの「法要とは」と題しての講話がありました。

法要と法事との違いを分かりやすく話され、死者の国への旅たちについて説明されました。

講話の詳細については、「藤香会だより」に掲載する予定です。

長髙様の焼香
参詣する会員
藤田紫雲師の法話
長髙様の挨拶

 

野村望東尼第150回遠忌法要が執り行われました

幕末の歌人であり勤皇の志士であった野村望東尼の命日に当たる11月6日、隠居後の住まいとなった平尾山荘で第150回遠忌の法要が平尾望東会(会長志間久宣氏)が施主となって執り行われました。

法要に先だって、志間会長、望東尼研究家谷川佳枝子さんらによって150回遠忌記念碑が除幕されました。記念碑の御影石には、望東尼が高杉晋作に夜なべをして縫った旅衣を渡し、歌を詠んでいるところがレリーフされた銅板がはめ込まれており、傍らにこの時詠んだ「まごころを つくしのきぬは 国のため たちかえるべき 衣手にせよ」が刻まれています。

その後、法要に入り博多吉塚の明光寺本多廸富住職による読経の中参列者の焼香がありました。

西日本新聞11月7日付朝刊によると300名の参詣者があった由。

閉会に際し各界からの祝電に続いて、当会山崎拓会長の祝辞本文が披露されました。

当会からは山崎会長に代って毛屋副会長、天本理事のほか、篠原理事、近藤理事、東旭秀さん、加藤芳子さん、鬼木誠さん(衆議院議員)、岳康宏さん(県議会議員)らも参詣しました。

150回遠忌記念碑
150回遠忌記念碑
明光寺本多廸富師による読経
明光寺本多廸富師による読経
参詣者焼香(当会会員加藤芳子さん)
参詣者焼香(当会会員加藤芳子さん)
谷川佳枝子先生の講話
谷川佳枝子先生の講話

 

史跡巡りバス旅行

恒例の史跡巡りバス旅行が10月18日(火)に行われ、参加した30名が有馬キリシタン遺産記念館、原城跡を見学しました。

記念館では、案内ガイドさんの歯切れのよい解説にうなずきながら聞き入っていました。ここを統治していたキリシタン大名の有馬氏と天正少年遣欧使節団の栄光の後、徳川幕府による禁教、島原の乱と続く弾圧の時代が展示されています。

島原の乱の本拠地で多くの人々が籠城して全滅した原城跡は、破却された石垣や門の礎石が残るだけですが、そのために痛ましさが痛感させられます。呼応して立ち上がった天草の島々が指呼の間に見えます。

筑前藩は黒田騒動での幕府に対する恩義もあったのでしょう、忠之公は14,000名を派遣しています。

道中は片道4時間という長丁場のため、車内では田中崇和理事提供のビデオを上映しました。「乞食大将」は市川右太衛門主演の長政公の家臣・後藤又兵衛の活躍をえがいた映画、「陸軍」は陸軍24連隊が協力して作成され、福岡市内が随所に写されています。「ドグラ・マグラ」は福岡出身の夢野久作の作品で、九州大学医学部が中心となって映し出されています。

天候に恵まれた一日で、楽しい旅を満喫してきました。

往路、大村SAにて
往路、大村SAにて

 

有馬キリシタン遺産記念館でガイドさんの説明を聞く参加者
有馬キリシタン遺産記念館でガイドさんの説明を聞く参加者
原城跡でガイドさんの説明を聞く参加者
原城跡でガイドさんの説明を聞く参加者
天草四郎像の前で
天草四郎像の前で
原城跡の見学を終えて、参加者全員で
原城跡の見学を終えて、参加者全員で

歴史勉強会開催される

恒例の歴史勉強会が9月24日(土)、福岡市博物館講座室で開催されました。

今年度は野村望東尼の研究者では第一人者である谷川佳枝子先生をお招きして「野村望東尼の生涯」と題して1時間20分にわたって講演をいただきました。

野村望東尼は幕末の福岡藩のみならず他藩の勤皇派の人々を庇護した女流歌人で、乙丑の獄(慶応元年)で罪に問われ、糸島の姫島に流罪となりました。庇護された人々の中には長州の高杉晋作もおり、姫島からは高杉の手の者たちによって救出されました。その後は長州の防府三田尻で一生を終えました。

先生は、望東尼はわずか1年2カ月の長州滞在でしたが、山口県には防府望東会があって望東尼を顕彰している、県民に慕われ尊敬の対象となっていると説明されました。

一生涯の節々に詠まれた和歌を参加者全員で唱和しながらの講演で、参加者の心に望東尼が詠んだ和歌の真髄が浸みたように感じました。

最後に、骸骨姿の晋作が三味線を弾いている巻物が披露され、それに書かれている和歌が説明されました。

「花咲きし梢も 咲かぬ深山木も 終には同じ朽木なりけり」で、「花が咲いた梢もまだ咲かない深山の木も最後は同じ朽木となる」というような意味でしょうか。

参加者は会員40名、一般の方110名にのぼり、あっという間の1時間20分でした。

先生の静かでよく通るお声での講演には参加者の誰もが引き込まれたことでした。

開催された福岡市博物館
開催された福岡市博物館
受付をしてくれた会員
受付をしてくれた会員
山崎会長の挨拶
山崎会長の挨拶
会場いっぱいの参加者
会場いっぱいの参加者
講演中の谷川先生-その1
講演中の谷川先生-その1
講演中の谷川先生-その2
講演中の谷川先生-その2
著書「野村望東尼」に署名される谷川先生
著書「野村望東尼」に署名される谷川先生
和歌「花さきし梢も 咲かぬ深山木も 終には同じ朽木なりけり 望東」
和歌「花さきし梢も 咲かぬ深山木も 終には同じ朽木なりけり 望東」

 

如水公夫人・光姫様の法要

如水公夫人の光姫の命日に当たる8月26日、福岡市中央区大手門の圓應寺で第390回遠忌法要が執り行われました。
当山は光姫が開基した黒田家の菩提寺で、筑前国の名刹、中本山です。光姫は夫・如水公、子息・熊之助、長政を看取った後の寛永4(1627)年8月26日に75歳で福岡城内で亡くなりました。法名は「照福院殿然誉浩栄大尼公」。
法要は住職の三木和信老師(会員)の読経と、寺田蝶美さんの光姫の生涯を語った筑前琵琶で執り行われました。参詣者の焼香が続き、その後、舞踏家高橋創さんの舞、光姫の生涯を描いた手作りの紙芝居が演じられました。
副住職の三木英信さんからは、光姫の読み方についての話がありました。一般的には「テルヒメ」と呼ばれていますが、寺に残る古文書に「光」に「ミツ」とルビがふってあること、如水公墓石と長政公の間にある熊之助の墓石裏面に母「満」と刻まれており「ミツ」と読んだのではないかということでした。
藤香会からは田島事務局長、稲員大三郎会員ほか4名の会員が参詣し、福岡市博物館顧問の田坂大蔵氏や「播磨の黒田武士顕彰会」の神澤輝和会長の姿もありました。

山門 「光姫忌」の案内(那珂川郷土史研究会・藤野辰夫氏撮影)
山門 「光姫忌」の案内(那珂川郷土史研究会・藤野辰夫氏撮影)

法要前の本殿の様子(那珂川郷土史研究会・藤野辰夫氏撮影)
法要前の本殿の様子(那珂川郷土史研究会・藤野辰夫氏撮影)
参詣者の焼香(那珂川郷土史研究会・藤野辰夫氏撮影)
参詣者の焼香(那珂川郷土史研究会・藤野辰夫氏撮影)

長政公第394回御忌法要

福岡藩初代藩主長政公の第394回御忌法要が、命日である8月4日に崇福寺で16代当主長髙様の御臨席のもと執り行われました。会員50名が参詣しました。
福岡市では36度を超える猛暑の中での法要となり、参列者は汗だくとなりながら焼香を行いました。本堂での法要の後、中門を通って黒田家墓所に向かい長政公の墓前で焼香を行い、滞りなく法要を終えました。
当日の模様は、8月5日付け西日本新聞朝刊にも掲載されました。

岩月海洞老師の五体投地(三拝)
岩月海洞老師の五体投地(三拝)

長政公墓前での参詣者焼香
長政公墓前での参詣者焼香

8月5日付け西日本新聞朝刊に掲載された法要の記事
8月5日付け西日本新聞朝刊に掲載された法要の記事