講演会が延期になりました

高齢の講演会がコロナ禍の中で、延期になりました。

新しい開催日は10月15日(金)です。

9月23日の分に申し込まれた方には、電話でお知らせしております。

新しく参加される方は、従来の申し込み方法でお願いいたします。

長政公の第399回御忌法要

福岡藩初代藩主長政公の第399回御忌法要を崇福寺黒田家墓所にあります長政公墓前で執り行いました。

今年もコロナ禍の中で昨年に引き続き、理事のみの焼香・参拝となりました。会員の皆さまと一同に会することができなく、理事会として心苦しく思っています。

炎天下、理事17名の参列で読経の中で焼香・参拝を済ませました。焼香後にはお坊さまの表白があり、長政公の遺徳と歴代藩主を偲びました。

焼香に向かわれる山崎拓会長
焼香・参拝される山崎拓会長
法要終了後に参詣者全員で記念撮影

長政公第399回忌ご法要中止のお知らせ

黒田家墓所のある福岡県は、4月20日からのコロナ緊急事態宣言、解除後の蔓延防止等重点措置への移行となってコロナ対応に厳しいものがあります。

こうした中で、崇福寺の意向もあって8月4日の福岡藩初代藩主長政公の第399回御忌法要を取り止めることを6月14日の理事会で決定しました。

昨年同様に理事のみの墓前参拝で、当日11時から法要を執り行います。お近くにお住まいの会員で参詣なさる方がおられれば、三密を避けながら参拝しますので、ご参列ください。

如水公の第418回忌ご法要

如水公の命日である3月20日、11時より墓前で山崎会長初め理事だけで焼香を行なって参拝しました。

昨年以来のコロナ禍の中で、当主にお越しいただけない寂しい法要となりました。心配された天気も如水公の恩徳のお陰なのか雨も降らず、滞りなく執り行われました。

会長以下19名の参列でした。

墓所の桜は例年より早く、ほぼ咲き初めで、その内数本は満開となっていました。

山崎会長挨拶で黒田家の結婚披露宴について報告をされました。
焼香される山崎会長
法要終了後に参列者みんなで記念撮影

第2代藩主忠之公のご法要

第2代藩主忠之公の命日の2月12日、菩提寺の東長寺で368回忌法要が理事15名の参列で執り行われました。

法要に参列した理事

例年、多くの藤香会会員が参列して行われるが、今年はコロナ禍で取り止めとなりました。

読経は新住職である藤田泰弘師で、法要後に第52代住職になったことをお話されました。

法要後、お話される藤田泰弘住職
法要後にお話をされる藤田泰弘住職

史跡巡り(その2)

史跡巡りの記事で書き忘れたことがありました。

小石原の宗家高取窯で拝見した茶入れのことです。

お抹茶をいただいた部屋の床の間に飾られていた茶入れと仕覆を覚えていらっしゃるでしょうか。当主の話では、黒田家に献上したものを再び高取家が拝領したと説明されました。詳細を聞いていなかったので、高取七絵様に問い合わせたところ、献上品は焼きあがった時点で黒田家の物で、この茶入れは第4代藩主綱政公から拝領したとのことでした。また、銘は殿様がこの茶入れを耳に当てたところ松風のそよぐ音が聞こえて来たところから「松風」とされたそうです。

「松風」の銘がある綱政公からの拝領の茶入れ

その他にも殿様が絵付けをされた物が残っているそうです。

史跡巡りを実施しました

11月10日、史跡巡りを実施しました。肌寒い中を会員および家族44名の参加でした。コロナ禍の中で「三密」を避けるため、2台のバスにそれぞれが間隔を開けて着席して、時刻をずらして出発しました。

「令和」の起源となった太宰府の坂本八幡宮では会員の岡部定一郎さんから「令和の教え」として暦の話があった。持統天皇が、一年をいくつかに区切り、それぞれに節供(節句)を決めて、人々の安寧を祈ったことなどを話された。

令和にちなみ暦の話をされる岡部定一郎さん
最初の合流地である坂本八幡宮前で集合写真

古心寺では渡辺桂堂住職が秋月種雄から16代続いて、黒田家に代わったこと、秋月家は日向高鍋に移り、そこから上杉鷹山などの名君が出たことなどを話された。古心寺は大徳寺の江月和尚により山号を長政公の法号から「興雲山」と命名され、代々大徳寺から住職を迎えている。

古心寺で渡辺桂堂住職の説明を聞く会員のみんな

黒田家墓所では秋陽会事務局長の吉田長利さん(本会々員でもあります)から歴代藩主や室のお墓について説明がありました。

古心寺にある黒田家墓所で秋陽会事務局長である吉田長利さん(本会々員)の説明を聞く

隣にある大涼寺は初代長興公の母の法号から命名されている。

大涼寺の山門

秋月の史跡巡りを終えて八丁トンネルを抜けて嘉麻市大隈にある麟翁寺を訪問。住職の話では母里太兵衛は高い身長で筋肉質の人であったことが甲冑から推測されるとのこと。また「母里(ぼり)」は当時の方言かなまりでこれを「もり」または「もうり」と発音していたことから幕府が感状を出すに際して「毛利」としたことで、幕末まで毛利姓を使い、明治になって元の「母里」に変えたことなどの説明があった。樹齢500年にもなるクロガネモチの側の母里太兵衛とその子、孫が並ぶ墓所を参拝した。

麟翁寺の山門
麟翁寺の住職の話を聞く
母里太兵衛のお墓、右に孫、子の墓が並ぶ

小石原に移って、太田和孝さん(本会々員)のマルワ窯を訪問、会員の一人ひとりにご飯茶わんを頂戴した。高取焼宗家では宗家の夫人高取七絵さん(本会々員)から、釉薬の甕、昇り窯、唐臼、粘土を作る水簸等の説明を受け、全て自家で作る由。その後、歴代の逸品の茶碗、茶入れ等が並ぶ部屋で、会員全員がお菓子とお抹茶の接待を受けました。

太田和孝さん(本会々員)のマルワ窯
素焼きした作品と釉薬の甕とが並ぶ作業場、釉薬の調合は一子相伝とか
昇り窯の前で説明される高取七絵さん(本会々員)
唐臼(水を受ける部分)
唐臼(土を砕く先端の部分)

朝倉の円清寺は曹洞宗のお寺で栗山善助(大膳の父)が開基となっている。山号、寺号とも如水公の法号から「龍光山円清寺」ということ等が住職から説明された。

円清寺の住職の説明を聞く会員たち