長政公法要を前に墓所を清掃

8月4日の長政公のご法要を前に、崇福寺にある黒田家墓所を清掃しました。梅雨明け(7月24日)後の好天と高温の中、会員38名と一般の人たち13名の51名が参加して清掃を行いました。

墓前を清掃する会員の皆さん

直前に市役所の草刈りとどなたか分りませんがほんの数日前に墓石前の水鉢の清掃がなされていました。黒田家墓所を大事に思っていらっしゃる方がおられるのは本当に心強いことで、感謝、感謝です。

大きな木の枝や墓石に掛かる桜の枝剪定で切った枝は小石原から来ていただいた太田会員に処分のため持ち帰っていただきました。これも毎回のことでありがたいことです。

朝早く、小石原(福岡から60km)からかけつけていただいた太田会員
清掃の協力していただいた柳生新陰流・柳心会の長岡宗家(本会会員)、マイケル・コンタス会員、柳心会の皆さん
清掃を終えて墓前で記念撮影、みんないい顔をしています

令和元年度の総会が開かれました

今年度は場所を警固神社神徳殿に移して5月25日11時から開催されました。総会は昨年よりも多い6名の協賛会員を含め総数67名の出席を得て開催されました。

会場の警固神社神徳殿

山崎会長が冒頭の挨拶で、「例年通りの藩主の法要、歴史勉強会への期待、今秋建立が予定されている姫路・官兵衛神社への訪問などのほか、会員のすそ野を広げ、充実した事業を展開できるよう藤香会を法人化したい。」と挨拶されました。

挨拶される山崎会長

議事は事業報告・決算の承認の後、毛屋副会長は令和元年度基本方針説明の中で、法人化の推進と中長期計画として3年後の長政公400回遠忌の執行、昨年に引き続き基金の積み増しなどが説明されました。

法人化について毛屋副会長から詳細な説明があり異議なく承認されました。それを反映した事業計画案、予算案も議案書通り承認されました。

また役員の選出では、鈴木譲二顧問および平田善積理事の退任と新理事に松尾等氏が選出されて、12時に終了いたしました。

熱心に審議する会員

主な行事としては、歴代藩主の法要と寺社参詣のほか、9月20日(金)午後1時30分からの歴史勉強会では九州大学基幹教育院教授の福田千鶴先生をお招きして「黒田騒動の展開・・・大膳忠臣説を読み解く」と題しての講演を、また史跡めぐりでは11月29日に予定されている姫路・廣峯神社内に建立される官兵衛神社の落慶式典への参加を予定しています。多くの会員の参加をお願いいたします。

中井一平氏による講話

総会終了後は読売新聞西部本社社長中井一平さん(本会会員)による「福岡城跡のにぎわい創出」と題しての講話がありました。福岡城近くに本社をもつ読売新聞は、「博多どんたく」や福岡城市民の会に協力してきたが、市の中心部の緑多い、生態系の多様なこの場所でストリートダンスを創設してにぎわいを作ってゆく事業に取り組んで行きたい。今では200万人が参加する「YOSAKOIソーラン祭り」のようなイベントに育てたいと結ばれました。

講演される読売新聞西部本社社長の中井一平さん

 

如水公第416回御忌法要が執り行われました

如水公命日の3月20日、博多・崇福寺で第416回御忌法要が、16代当主長髙様を迎えて執り行われました。会員76名が参列しました。

法要の開始を待つ長髙様、山崎会長、毛屋副会長
本殿で焼香される長髙様
次々と焼香する会員

山崎会長は挨拶の中で、このような歴代藩主の法要を続けて、市民にも福岡の礎を築いた黒田家を知っていただくことが重要だと話されました。

挨拶される山崎会長

今回は姫路より廣峯神社の幸田宮司、曲渕禰宜様を初め巫女のお二人、播磨の黒田武士顕彰会会長の参列もありました。

本殿での法要の後、墓所に向かい、如水公墓前での焼香を行いました。

墓前で焼香される長髙様と、山崎会長

この法要に先立って、墓所は3月17日に会員および市文化財部、明るい社会をつくる会、柳生新影流の会員ら40名の協力を得て清掃を行いました。

墓所清掃に参加した会員たち
清掃を終えて、みんなで記念撮影

忠之公の366回忌ご法要が執り行われました

福岡藩第2代忠之公の366回忌ご法要が菩提寺である東長寺で執り行われました。長髙様はじめ会員、賛助会員58名が参列しました。藤田紫雲老師の読経のなか、忠之公の菩提に順次焼香いたしました。法要の後、同じ本堂で藤田紫雲老師は挨拶とともに福岡藩の寺社奉行と交渉を東長寺が神社・仏閣の代表として行っていた旨をお話されました。

参列した会員
焼香される長髙様
順次焼香する会員

その後2階に会場を移して、天本理事が「10代藩主齋清公のご逝去」とい演題で講話を行いました。

卓話を行う天本理事

会員との会食の場では、大音六左衛門青山の末裔である野村宗健さん、相島神宮寺住職中澤慶輝さんほかの新入会員が紹介され、長髙様を囲んでの懇親となりました。

懇親会の様子

長髙様は帰路、中央区平尾にある六代藩主継高公が創建された宇賀神社(別名、黒田稲荷)を訪問されました。この模様は2月13日付西日本新聞に掲載されました。

神職から話を聞かれる長髙様
訪問の記事が掲載された西日本新聞(平成31年2月13日付)

史跡巡りを実施しました

10月15日、藤香会恒例の史跡めぐりが47名の会員が参加して行われました。太宰府天満宮本殿での正式参拝の後、宝物殿で開催中の「明治維新150年 太宰府幕末展」を歴史研究家・谷川佳枝子先生の講話を聞いて予習した後、見学・観賞いたしました。ここでも先生が展示物の説明をされて、会員誰もがよく理解したことでした。

谷川佳枝子先生の講話を聞く参加者たち
西高辻宮司の挨拶
如水公の井戸を見学

文久3年8月18日の政変で京都を追われた尊王攘夷派の公卿7名のうち5名が滞在した延寿王院(西高辻宮司私邸)を西高辻宮司の案内で見学させていただきました。普段は門外から眺めるだけでしたが、この日は格別の計らいで三条実美卿の滞在していた部屋や訪問・面会のために来た西郷吉之助、木戸孝允、野村望東尼等が控えた部屋を宮司から説明を受けました。

三条実美卿が滞在した部屋で、西高辻宮司から説明を聞く会員
「五卿遺蹟」(延寿王院)の前での集合写真

豪勢なお昼を摂った後、松屋(当時は薩摩藩の常宿)の2階を見学して、滞在した西郷吉之助、月照や平野國臣等、大久保一蔵の手紙にも触れることができました。

志士達の手紙(上:大久保一蔵、下:西郷吉之助) 松屋蔵

尊王攘夷派の五卿をはじめ維新の志士たちが活躍した太宰府は、薩長同盟のさきがけとなった所で、維新胎動の地ということができるという説明も納得のゆくものでした。

帰路は、観世音寺・戒壇院に立ち寄り、国宝の梵鐘や観世音寺宝蔵の重要文化財の仏像などを田中崇和理事の説明で見学しました。観世音寺の梵鐘は菅原道真の詩にも「都府楼纔看瓦色 観音寺唯聴鐘聲」と詠われています。

観世音寺本堂
国宝 観世音寺の梵鐘
戒壇院での参拝を終えて

説明された田中理事は若いころ戒壇院に預けられていた由。

平成30年度の歴史勉強会を開催しました

恒例の歴史勉強会は太宰府天満宮禰宜であり天満宮文化研究所の主管を務められます味酒安則(みさけ やすのり)さんに「黒田長溥と明治維新」という題で講演をいただきました。

9月14日(金)福岡市博物館に80名の会員と一般の人が、ユーモアを交えた味酒先生の講話に引き込まれました。

旧福岡藩第11代藩主である黒田長溥公は、薩摩藩の島津重豪公の第9男として江戸の藩邸で生まれ、幼少を島津斉彬公と過ごしました。福岡藩の第10代藩主斉清公も重豪公もともに蘭癖大名と知られていますが、その他に両公とも眼疾であり、筑前志免にいた眼科医に診てもらっており非常に仲が良かったということです。重豪公はその折太宰府天満宮に参詣して太刀を奉納されました。そんな縁もあって9男の長溥公が福岡藩に養子となって来られたのではないか。

長溥公は石炭を製塩のために使う方法を考え、製造元の博多商人は軍艦を輸入して藩に献納するほどでした。そのほか西洋式調練の実施、疱瘡・コレラの特効薬など新しい技術を取り入れ、実父、養父にも劣らぬ蘭癖ぶりを発揮しました。また学問にも力を注ぎ、長崎へ留学生を派遣し、福岡には医学校である賛生館を設立しました。

政治的には長溥公は大攘夷で富国強兵を先に行ってその後欧米に対抗すべきととの考えでした。第1次長州征伐に際しては、長州と幕府の周旋に動き、幕府解兵を実現させた。

また長州に亡命していた5卿を幕府移送や5名を各藩預けとなっていたものを太宰府にまとめて引き受けるなどが特筆されます。

福岡藩論は勤王派と公武合体派とで揺れており、慶応元年の乙丑の獄と呼ばれる政治変革では、多くの筑前勤王党の人びとが切腹・斬首・謹慎に遭いました。長溥公は難しい選択を迫られています。

明治維新後は、第12代藩主長知公が贋札事件により藩知事罷免、東京への移転がありましたが、明治天皇の溜池邸への御幸などがあって名誉が回復されました。

勉強会案内板
講演される味酒安則先生
参加された会員・一般の聴衆