忠之公の366回忌ご法要が執り行われました

福岡藩第2代忠之公の366回忌ご法要が菩提寺である東長寺で執り行われました。長髙様はじめ会員、賛助会員58名が参列しました。藤田紫雲老師の読経のなか、忠之公の菩提に順次焼香いたしました。法要の後、同じ本堂で藤田紫雲老師は挨拶とともに福岡藩の寺社奉行と交渉を東長寺が神社・仏閣の代表として行っていた旨をお話されました。

参列した会員
焼香される長髙様
順次焼香する会員

その後2階に会場を移して、天本理事が「10代藩主齋清公のご逝去」とい演題で講話を行いました。

卓話を行う天本理事

会員との会食の場では、大音六左衛門青山の末裔である野村宗健さん、相島神宮寺住職中澤慶輝さんほかの新入会員が紹介され、長髙様を囲んでの懇親となりました。

懇親会の様子

長髙様は帰路、中央区平尾にある六代藩主継高公が創建された宇賀神社(別名、黒田稲荷)を訪問されました。この模様は2月13日付西日本新聞に掲載されました。

神職から話を聞かれる長髙様
訪問の記事が掲載された西日本新聞(平成31年2月13日付)

史跡巡りを実施しました

10月15日、藤香会恒例の史跡めぐりが47名の会員が参加して行われました。太宰府天満宮本殿での正式参拝の後、宝物殿で開催中の「明治維新150年 太宰府幕末展」を歴史研究家・谷川佳枝子先生の講話を聞いて予習した後、見学・観賞いたしました。ここでも先生が展示物の説明をされて、会員誰もがよく理解したことでした。

谷川佳枝子先生の講話を聞く参加者たち
西高辻宮司の挨拶
如水公の井戸を見学

文久3年8月18日の政変で京都を追われた尊王攘夷派の公卿7名のうち5名が滞在した延寿王院(西高辻宮司私邸)を西高辻宮司の案内で見学させていただきました。普段は門外から眺めるだけでしたが、この日は格別の計らいで三条実美卿の滞在していた部屋や訪問・面会のために来た西郷吉之助、木戸孝允、野村望東尼等が控えた部屋を宮司から説明を受けました。

三条実美卿が滞在した部屋で、西高辻宮司から説明を聞く会員
「五卿遺蹟」(延寿王院)の前での集合写真

豪勢なお昼を摂った後、松屋(当時は薩摩藩の常宿)の2階を見学して、滞在した西郷吉之助、月照や平野國臣等、大久保一蔵の手紙にも触れることができました。

志士達の手紙(上:大久保一蔵、下:西郷吉之助) 松屋蔵

尊王攘夷派の五卿をはじめ維新の志士たちが活躍した太宰府は、薩長同盟のさきがけとなった所で、維新胎動の地ということができるという説明も納得のゆくものでした。

帰路は、観世音寺・戒壇院に立ち寄り、国宝の梵鐘や観世音寺宝蔵の重要文化財の仏像などを田中崇和理事の説明で見学しました。観世音寺の梵鐘は菅原道真の詩にも「都府楼纔看瓦色 観音寺唯聴鐘聲」と詠われています。

観世音寺本堂
国宝 観世音寺の梵鐘
戒壇院での参拝を終えて

説明された田中理事は若いころ戒壇院に預けられていた由。

平成30年度の歴史勉強会を開催しました

恒例の歴史勉強会は太宰府天満宮禰宜であり天満宮文化研究所の主管を務められます味酒安則(みさけ やすのり)さんに「黒田長溥と明治維新」という題で講演をいただきました。

9月14日(金)福岡市博物館に80名の会員と一般の人が、ユーモアを交えた味酒先生の講話に引き込まれました。

旧福岡藩第11代藩主である黒田長溥公は、薩摩藩の島津重豪公の第9男として江戸の藩邸で生まれ、幼少を島津斉彬公と過ごしました。福岡藩の第10代藩主斉清公も重豪公もともに蘭癖大名と知られていますが、その他に両公とも眼疾であり、筑前志免にいた眼科医に診てもらっており非常に仲が良かったということです。重豪公はその折太宰府天満宮に参詣して太刀を奉納されました。そんな縁もあって9男の長溥公が福岡藩に養子となって来られたのではないか。

長溥公は石炭を製塩のために使う方法を考え、製造元の博多商人は軍艦を輸入して藩に献納するほどでした。そのほか西洋式調練の実施、疱瘡・コレラの特効薬など新しい技術を取り入れ、実父、養父にも劣らぬ蘭癖ぶりを発揮しました。また学問にも力を注ぎ、長崎へ留学生を派遣し、福岡には医学校である賛生館を設立しました。

政治的には長溥公は大攘夷で富国強兵を先に行ってその後欧米に対抗すべきととの考えでした。第1次長州征伐に際しては、長州と幕府の周旋に動き、幕府解兵を実現させた。

また長州に亡命していた5卿を幕府移送や5名を各藩預けとなっていたものを太宰府にまとめて引き受けるなどが特筆されます。

福岡藩論は勤王派と公武合体派とで揺れており、慶応元年の乙丑の獄と呼ばれる政治変革では、多くの筑前勤王党の人びとが切腹・斬首・謹慎に遭いました。長溥公は難しい選択を迫られています。

明治維新後は、第12代藩主長知公が贋札事件により藩知事罷免、東京への移転がありましたが、明治天皇の溜池邸への御幸などがあって名誉が回復されました。

勉強会案内板
講演される味酒安則先生
参加された会員・一般の聴衆

 

長政公の第396回御忌法要が営まれました

初代藩主長政公の396回遠忌法要が命日の8月4日午前11時から崇福寺で執り行われました。

酷暑の中、黒田長髙様、山崎会長はじめ会員および協賛会員50名が参列しました。

法要が行われた崇福寺の方丈には仏前に長政公のご位牌と肖像が描かれた掛け軸が掲げられ、岩月海洞老師の五体投地に続く読経の中、長政公の御霊に焼香を行ないました。

読経前の岩月海洞老師の五体投地
参詣・焼香する参列者
お礼を述べられる長髙様

方丈での法要を終えた参列者は中門をくぐって黒田家墓所に向かい、長政公の墓前でやはり読経の中で焼香を行なって長政公を偲びました。

長政公墓前に参詣される長髙様

黒田家墓所の清掃を行いました

毛屋副会長の挨拶初代藩主長政公の396回御忌法要を前に、7月29日に黒田家墓所の清掃を行いました。

今回は近所の方がはじめてボランティアで参加され、会員を含めて43名が暑い中に汗を流しました。

毛屋副会長の挨拶
集まった参加者たち

福岡市文化財部の藤係長の話では、黒田家墓所の入場者数は平成28年度が2,539名、29年度が2,362名とのことでした。墓所をいつもきれいに保って、観光客をはじめ入場の方々に気持ちよく参拝していただきたいものと思います。

参加者の皆さま、おつかれさまでした。

きれいになった墓所
清掃を終えて参加者全員で記念撮影

相島で遭難300回忌供養会が行われました

享保4(1719)年7月24日、朝鮮通信使を迎えるため準備中の船40艘余が大風によって破船・遭難、福岡藩士12名と水夫49名の合わせて61名が亡くなりました。

今年は300回遠忌に当たり、その供養会が7月22日、相島の経塔様広場で神宮寺の中澤老師の表白と読経をいただいて執り行われました。参加者は地元の方々、朝鮮通信使や歴史に関心のある人およそ60名が先人を偲んで焼香を行ないました。

神宮寺中澤老師による表白

供養会実行委員会の委員長には藤香会の毛屋副会長が就き、昨年より地元の区長、神宮寺檀家の方、漁業組合、婦人会、相島歴史の会、藤香会などが中心となって準備を進めてきました。

藤香会からは、毛屋副会長をはじめ天本理事、西田理事、東旭秀会員が参列いたしました。

毛屋実行委員長(藤香会副会長)の挨拶

供養会の後は筑前琵琶奏者の東旭秀大師範(当会会員)の「藍嶋殉難碑」(作曲東旭秀さん、作詞示車右甫さん)が奉納されました。詞は相島での遭難の経緯を詠ったものです。

東旭秀さん(当会会員)の筑前琵琶演奏奉納

その後場所をきずな館に移して相島歴史の会の今村公亮事務局長による「ユネスコ世界の記憶登録の意義とこれからの課題」と題する講話がありました。

その内容は西日本新聞にも掲載されました。

西日本新聞に掲載の記事(H30.7.23付)

平成30年度藩校サミットが開催されます

今年は第16回目で9月29日、30日に京都府舞鶴市で開催されます。参加希望の方は田中雅美監事(修猷館同窓会事務局長)へ7月25日までにお申し込みください。

例年通り当会の名誉顧問であります黒田長髙様ご夫妻も参加されます。

申し込み先

田中税理士事務所  田中雅美 〒810-0073

福岡市中央区舞鶴3丁目2番5号アイビル4F

電話 092-712-4799   / FAX 092-771-3719

携帯:090-4770-4692 / e-mail:mztanaka@io.ocn.ne.jp

パンフレットは、以下のファイル名をクリックしてください。

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昨年、金沢で行われた藩校サミットの写真です。

長髙様ご夫妻の右は徳川宗家18代恒孝様ご夫妻

エクスカーション、金沢公園で撮影

平成30年総会が開催されました

5月27日11時から鳥飼八幡宮参集殿で、総会が3名の協賛会員を含め総数63名の出席を得て開催されました。

山崎会長が冒頭、「協賛企業・団体は50社・団体となり、目標を達成した。今年度は協賛企業・団体の期待と要請を受け、黒田家歴代藩主の顕彰と会員の研鑽を従前通り、新たに文化事業を通じて社会的な使命に応えるようにしたい。」と挨拶されました。

山崎会長の冒頭の挨拶

議事は議案書通り承認され、役員は木下正監事の退任と新役員2名(岳康宏氏、郡基博氏)が選出されて、12時に終了いたしました。

事務局・原総務担当理事の議案説明
審議する出席会員
新任の岳康宏信理事の挨拶
新任の郡基博理事の挨拶

その後、修猷館同窓会会長である川崎隆生 (西日本新聞社代表取締役会長)氏から「黒田家と藩校修猷館」と題して講話を頂戴いたしました。川崎氏は黒田藩の儒学に触れ、朱子学の竹田定良と古学派の亀井南冥の儒学の双璧が9代藩主斉隆公の命によってそれぞれ修猷館(東学問所)と甘棠館(西学問所)を開設・開学したことを説明されました。そのなかで修猷館は幕末まで続き、明治になって一時途絶えたが、11代藩主であった黒田長溥公や金子堅太郎らの厚志によって再建され、教育の自主自立と人格の高揚、完成に向けた基礎的な学習は今も続いている旨、説明をされました。

講話を行う川崎隆生修猷館同窓会会長