平成30年総会が開催されました

5月27日11時から鳥飼八幡宮参集殿で、総会が3名の協賛会員を含め総数63名の出席を得て開催されました。

山崎会長が冒頭、「協賛企業・団体は50社・団体となり、目標を達成した。今年度は協賛企業・団体の期待と要請を受け、黒田家歴代藩主の顕彰と会員の研鑽を従前通り、新たに文化事業を通じて社会的な使命に応えるようにしたい。」と挨拶されました。

山崎会長の冒頭の挨拶

議事は議案書通り承認され、役員は木下正監事の退任と新役員2名(岳康宏氏、郡基博氏)が選出されて、12時に終了いたしました。

事務局・原総務担当理事の議案説明
審議する出席会員
新任の岳康宏信理事の挨拶
新任の郡基博理事の挨拶

その後、修猷館同窓会会長である川崎隆生 (西日本新聞社代表取締役会長)氏から「黒田家と藩校修猷館」と題して講話を頂戴いたしました。川崎氏は黒田藩の儒学に触れ、朱子学の竹田定良と古学派の亀井南冥の儒学の双璧が9代藩主斉隆公の命によってそれぞれ修猷館(東学問所)と甘棠館(西学問所)を開設・開学したことを説明されました。そのなかで修猷館は幕末まで続き、明治になって一時途絶えたが、11代藩主であった黒田長溥公や金子堅太郎らの厚志によって再建され、教育の自主自立と人格の高揚、完成に向けた基礎的な学習は今も続いている旨、説明をされました。

講話を行う川崎隆生修猷館同窓会会長

長髙様が「博多どんたく港祭り」に来られました

5月3日、4日の日程で、黒田長髙様ご夫妻が「博多どんたく港祭り」のため来県されました。

「博多どんたく」に来られた黒田長髙様ご夫妻
演舞台で挨拶される長髙様

5月4日は福岡城演舞台で柳生新影流柳心会宗家の長岡鎮廣(会員)さんの四方払いが行われ、続いて長髙様は稚児舞(西流)をご覧になった後、稚児流れよりお祝いの口上を受けられました。

演芸を鑑賞するご夫妻、山崎会長と会員たち

引き続き場所を下の橋御門に移して博多松囃子・三福神による祝いの口上を受けられました。答礼として伝統の「一束一本」をお返しになりました。

大黒流に答礼の「一束一本」を渡される長髙様
博多松囃子の口上、答礼を終えての集合写真

博多松囃子は博多の商人が年始の挨拶のため、福岡城の殿さまにお目にかかり年始祝いの口上を述べるのがしきたりで、殿さまからの返礼は半紙一束と白扇一本(一束一本)になっています。「筑前歳時図記」や「博多津要録」にも記述があります。

「筑前歳時図記」に書かれた博多松囃子(国立公文書館所蔵)

東旭秀会員、田原坂慰霊塔へ筑前琵琶の奉納演奏

4月30日、会員で筑前琵琶奏者の東旭秀さんが西南戦争最大の激戦地であった田原坂で、明治維新の志士たちに捧げる鎮魂歌として慰霊塔に「秋風故郷の山」を捧げられました。東さんが主宰する「恵美企画」の5周年を記念して主催し、「西南戦争田原坂顕彰会」が支援しました。福岡から東旭秀さんを支援する20名が参加いたしました。藤香会会員では、西田理事、天本が同行いたしました。

田原坂戦死者慰霊塔
演奏前に挨拶する東旭秀会員
慰霊塔前で献奏する東旭秀会員

慰霊塔うしろの銘板には西南の役で亡くなった人びとの名前が官軍・薩軍毎に出身県別に14,000名刻まれています。明治10年3月20日に田原坂での戦いは多くの戦死者(全戦死者の4分の1の3,660名と言われています)を出して終わりました。福岡県からも多くの人が両軍に参加しました。薩軍に参加した人の中に加藤堅武、武部小四郎の名前がありました。両名とも田原坂の戦いに呼応して数日後の3月28日に起こった「福岡の変」に参加して斬首されました。子孫の方が会員としておられます。

名板に刻された福岡県出身者の名前(薩軍)

「西南戦争田原坂顕彰会」の谷口憲治さんによると、毎年3月20日に慰霊祭を行って官軍・薩軍の両方の戦死者の御霊を慰霊しているとのことで、両軍を一緒に弔っているのは田原坂だけと言われていました。

「西南戦争田原坂顕彰会」の藤井修一会長の挨拶
終了後に慰霊塔前で集合写真

 

如水公415回御忌法要が執り行われました

如水公の命日である3月20日小雨模様の中、崇福寺で第415回御忌の法要が執り行われました。

16代当主黒田長髙様はじめ会員64名が方丈での岩月海洞老師の読経の中、焼香をいたしました。

参詣の長髙様、山崎会長、毛屋副会長
読経中の崇福寺岩月海洞老師
挨拶される長髙様

焼香終了後は黒田家墓所に向かい如水公墓前で再び焼香を行なって参詣を終えました。

墓前に焼香される山崎会長
墓前に焼香する会員

法要の模様は西日本新聞の3月21日付朝刊にも掲載されました。

法要の模様が掲載された西日本新聞3月21日付朝刊

 

この法要に先だって3月18日(日)に会員45名が墓所の草刈りや墓石花活けの清掃に汗を流しました。

墓所の清掃を終えての集合写真

忠之公の第365回御忌法要が執り行われました

命日の2月12日朝から冷え込む中、11時から墓所のある東長寺で第365回御忌法要が営まれました。長髙様の臨席を仰ぎ、賛助会員3名を含む会員58名の参列しました。

藤田紫雲老師の読経の中、長髙様、山崎会長、毛屋副会長に続いて、会員の焼香がありました。

終了後、2階の広間に場所を替えて、会員太田和孝さんの「光之公の小石原藩窯について」と題して、3代藩主光之公が小石原に焼物窯を作ったこと、大田さんの敷地内にある窯跡が史跡に指定されたことなど、また大田さん自身が「日本桜の会」をはじめ桜の苗木を贈るボランティア活動をされていることなどを話されました。

太田さん自身も昨年7月の大洪水の被害に遭われているため、今年の5月には犠牲になられた人たちのために護摩供養を計画されているとのことでした。

その後はお昼を供にしながら、会員同士の交流を行い、1時前にとどこおりなく終わりました。

焼香される長髙様
順番に焼香する会員たち
法要が終わって挨拶される長髙様

 

東旭秀会員の演奏日程

去る12月2日に開催された当会忘年会において演奏された筑前琵琶奏者である会員の東旭秀さんの演奏のスケジュールが決まりました。

忘年会で初めて筑前琵琶の演奏と語りを聞いた会員も多く、感激の面持ちで聞き入っていました。

忘年会で演奏される東旭秀会員

東さんは自ら主宰され、1300年の伝統の技と精神を受け継ぐ「恵美企画」が平成30年に5周年を迎えるのを機にCDも製作されるとのこと。

演奏日程

・4月30日(月・休)  14:15~  熊本県民交流館パレアホール

小島旭實先生演奏3000回達成記念にゲスト出演

 

・7月22日(日)    11:00~  福岡県新宮町相島 神宮寺

—朝鮮通信使ユネスコ世界の記憶認定記念—

通信使受入れの黒田藩士など遭難300回遠忌法要の場で演奏

 

・8月4日(土)     15:00~  太宰府文化ふれあい館

太宰府まるごと歴史展オープニング演奏

 

・10月23日(火)    11:00~

—明治維新150年記念—

野村望東尼・藤巴他 CD製作発表、パーティ

 

・11月17日(土) いとしま市民大学にて

合同講座 秋の音楽祭「筑前琵琶」

可也公民館

糸島市志摩初18番地 (TEL:092-327-1734)

 

お問い合わせは東旭秀さん   TEL 090-5025-5208

黒田家の家紋「藤巴」入りのパスケースを販売

黒田家の家紋である藤巴を博多織で織り込んだパスケースを販売いたします。

藤香会の公式行事(歴代藩主の法要、総会、勉強会、史跡巡り、忘年会など)の場で会員に限り販売します。

現在、写真の右の金色の紋のみの販売となります。

1個1,500円で、西田理事が取り扱います。

「藤巴」入りパスケース(博多織)

史跡巡りを実施しました

恒例の史跡巡りは、この度世界文化遺産に認定された沖ノ島および関連遺産群を見る旅となりました。今回は世界遺産のある地を巡るため、会員54名の参加で今までにない大人数でのイベントとなりました。

11月7日の暑くもなく寒くもない気候のもと宗像大社を参詣しました。前の週に天皇皇后両陛下が訪問された勅使館に案内され、陛下の休まれた部屋を見せていただき、座られた椅子(レプリカ)に座り、普段は神宝館に展示されている神宝を持出し展示して両陛下にご覧にいれた部屋でお茶や菓子をいだきながら葦津宮司の説明を聞きました。その後本殿で正式参拝を済ませ、神社の原始形態である高宮祭場を参詣し神宝館で数々の国宝を観覧しました。

続いて訪れた鎮国寺ではご住職の法話と5体の仏像(空海の作と言われる)で、宗像大社の神護寺だった時代、宗像三女神の化身である大日如来、釈迦如来、薬師如来と阿弥陀如来、如意輪観音菩薩を拝観いたしました。境内にある観音様は以前は“ボケ封じ観音“と呼ばれていたが、今では“いきいき観音“と呼ばれているそうです。

昼食の後、神ノ湊から大島に渡り宗像社の中津宮を参詣し、天の真名井の神水で喉を潤して沖津宮遙拝所に向かいました。残念ながら薄曇りの天気であったため沖ノ島は見ることができませんでしたが、静かな海の向こうに神聖な沖ノ島があるという感慨に浸ることができました。

大島での見学は宗像大社の権禰宜である松林さんに同行案内していただきました。

今回は宗像大社の葦津宮司さんや松林権禰宜さん、鎮国寺の立部住職さんの説明で、普段のガイドさんの案内では聞くことができない内容を聞くことができました。ありがとうございました。

両陛下が座られた椅子(レプリカ)に座る会員
葦津宮司の説明
立部鎮国寺住職の法話・説明
大島・中津宮の参詣を終えての集合写真
沖津宮遙拝場

黒田家文書、ユネスコ「世界の記憶」に登録

黒田家第14代当主長禮様から福岡県に寄贈された黒田家文書のうち、宝暦13年、14年(1763、1764)の第11回通信使の接遇を記録した「朝鮮人来聘記」11冊と「朝鮮人帰国記」4冊の計15冊をはじめとする日韓の「朝鮮通信使に関する記録」333点が10月30日(日本時間31日)に登録された。日本の「朝鮮通信使縁地連絡協議会」と韓国釜山市の「釜山文化財団」とが共同でユネスコに昨年3月に登録申請していたもの。

朝鮮通信使は、江戸時代に12回にわたって朝鮮国王が修好のため日本に派遣した外交使節で、福岡藩は相島(福岡県新宮町)で受け入れ、準備や応接を行った。

通信使一行およそ500名、対馬藩およそ400名を迎え、福岡藩からも数百名が相島に渡った。貝原益軒ら儒学者も出向き、朝鮮側の儒者から朝鮮における李退渓学派の事跡、著述のこと、学校、科挙のことなどを尋ねた。また同行の儒者と詩文を取り交わす唱和をして交流を行った。

福岡県からはもうひとつ豊前小倉の小笠原文書のうち、第12回通信使の時に藩主小笠原忠固が対馬まで上使として出向き国書交換を行った時の記録「對州御下向海陸日記」と「對州御滞留日記 文化八年忠固公朝鮮使接待役」も申請された。「對州御滞留日記 文化八年忠固公朝鮮使接待役」は福岡市の「対馬文書を読む会(原順子氏主宰)」によって平成24年と平成29年に翻刻されている。

西日本新聞10月31日付け朝刊の記事