糸島市在住の藤香会会員、松永啓志郎さんが、経営されている会社の
ホームページ(有限会社・綜合緑研 http://www.ryokuken.net/)上に、黒田家墓所・如水公墓石について、写真付で解説されています。
どうぞ、アクセスしてみてください。
糸島市在住の藤香会会員、松永啓志郎さんが、経営されている会社の
ホームページ(有限会社・綜合緑研 http://www.ryokuken.net/)上に、黒田家墓所・如水公墓石について、写真付で解説されています。
どうぞ、アクセスしてみてください。
日 時:10月16日(木)
探訪地:飯塚市〔西光寺・飯塚市歴史資料館・旧伊藤伝右衛門邸〕~筑前六宿〔内野宿・木屋瀬宿〕
参加者:38名
案内および協力を頂いた方々:
・黒田官兵衛いいづかプロジェクト協議会 竹下 茂木氏
・長崎街道筑前六宿内野宿・内野地区活性化協議会の皆様
・飯塚市経済部商工観光課の皆様
平成26年度・史跡巡りは台風一過の好天に恵まれ、会員および家族など38名が参加し、主に黒田官兵衛、長政親子の飯塚市周辺における足跡を訪ねました。
黒田親子の飯塚周辺での足跡は、黒田家が豊前中津を治めている頃に始まり、官兵衛は既に隠居の身で、名を“如水”と改め、更に朝鮮出兵時の秀吉との確執により頭を剃り“如水圓清”と名乗っていました。
秀吉没後の「関ヶ原の戦い」における功績により、筑前52万石への移封となり、黒田親子は福岡城築城を契機に黒田藩治世の根幹となる、大きなプロジェクトを次々に着手しました。「黒田官兵衛いいづかプロジェクト協議会」竹下会長の行き届いた案内で、筑前黒田藩の大きな足跡の数々を、参加者全員が再認識し、事故もなく有意義なバスツアーとなりました。
西光寺入口
西光寺ご住職のお話
如水自筆による「如水圓清」の法名位牌
内野宿展示館
樹齢450年以上の内野大銀杏
そばの花
山崎会長を囲む参加者の皆さん
筑前六宿・木屋瀬宿の家並
サミットのパンフレット
会場となった文化会館
9月21日(日)、岐阜県垂井町文化会館で開催された大河ドラマサミットに黒田家十六代当主黒田長髙様とともに藤香会から7名の理事が参加しました。
岐阜県垂井町は黒田官兵衛と並び称される軍師竹中半兵衛が陣屋を築いた所で、信長の人質となっていた松寿丸(後の黒田長政)が半兵衛によって救われ、匿われていた所としても有名です。
大河ドラマサミットは半兵衛・官兵衛、二兵衛ゆかりの自治体である福岡市、姫路市、兵庫県三木市、滋賀県長浜市、岐阜県大野町、岐阜県関ケ原町、そして地元垂井町の7自治体が一堂に会して開催されました。最初に垂井町長の歓迎の挨拶と各自治体及び参加者の紹介、各自治体のイベントが行われました。
続く講演は作家火坂雅志さんが「軍師 竹中半兵衛と黒田官兵衛」と題して、半兵衛の短い生涯を、17人での稲葉山城(後の岐阜城)攻め、長浜城の築城と城下町の経営手法、姫路攻めでの官兵衛との出会い、三木城攻めなどを話されてました。最後に火坂さんご自身の著作「軍師の門」の冒頭の部分を朗読されて講演をしめくくられました。
半兵衛も官兵衛も、いかに人を殺さずに降伏させるかについて智略を練ったことについて力を込めて説明されました。
最後に各自治体関係者が壇上に並び、勝どきを上げて解散となりました。
竹中家の方とともに黒田家十六代当主黒田長髙様も登壇
参加者を代表して壇上での勝どき (垂井町役場提供)
サミットに先立ち、垂井町の半兵衛関連の史跡を巡りました。
五明稲荷(松寿丸が匿われたところで、松寿丸お手植えのイチョウがあり、鳥居は黒田家からの寄進です)、半兵衛陣屋跡(現在、門と石垣が残っています)、青莪記念館(学問所の跡で、古文書をはじめとする史料が展示されています)、禅幢寺(竹中半兵衛の菩提寺で、裏山は竹中一族や家臣団の墓所となっています)などを町職員や解説ガイドボランティアの方々の案内で見学しました。
五明稲荷 (松寿丸が匿われていたところ)
竹中半兵衛陣屋跡(櫓門の中には史料が展示されています)
竹中半兵衛像 (陣屋跡前)
青莪記念館
禅幢寺
竹中家墓所
恒例の歴史勉強会は9月11日(木)、福岡市博物館講座室で会員および一般約70名の参加で開催されました。
藤香会 毛屋副会長のあいさつ
博物館学芸員の堀本一繁氏の「軍師黒田官兵衛の生涯」と題する講演では、「軍師官兵衛特別展」に展示されている『圧切(へしきり)長谷部』をはじめ秀吉からの手紙や48歳の時の遺言状、小田原攻めで北条氏から贈られた『日光一文字』、母里太兵衛の名鎗『日本号』などの説明がありました。
講師 福岡市博物館主査・学芸員 堀本一繁氏
『圧切長谷部』は、岐阜城で信長からその才能を見込まれて賜った普通使いの刀で、刀工長谷部国重が得意とした皆焼刃(ひたつらば)の名品で、唯一の国宝です。
秀吉直筆の手紙には、官兵衛は弟(秀長)同然であると書かれ、人たらしと言われた秀吉の面目躍如たる手紙です。また宛名がひらがなで書かれ、官兵衛が“かんひやうえ”と呼ばれていたことが分かります。
遺言状は、朝鮮の役での一件で秀吉の怒りを買い、死を覚悟して書かれたものであるが、後に貝原益軒が黒田家譜を著す時、官兵衛に秀吉の叱責を受けたことなど都合の悪い事柄を故意に落として、恰も黒田家の家訓のように記述されています。
『日光一文字』の説明では小田原に籠城を続ける北条氏に対して、降伏・開城を勧め、北条氏政ら4名の切腹のみで降伏を認め、北条氏直は助けられました。その恩に対して北条早雲伝来の『日光一文字』ほかの家宝を贈りました。
名鎗『日本号』はその長さが群を抜いており、また普段は見れない裏側に傷が付いており、実戦で使われたことを示しています。
これらの話を聞いたうえで、参加者は開催中の「軍師官兵衛特別展」を観覧しました
熱心に聞き入る参加者
恒例の歴史勉強会を次のとおり開催します。
日時 平成26年9月11日(木) 午後1時30分より
場所 福岡市博物館 講座室(1階)
福岡市早良区百道浜3-1-1
受講料 無料
申込み 不要
演題 「藩祖・黒田官兵衛の生涯」
講師 福岡市博物館学芸員 堀本一繁先生
当日は「軍師官兵衛 激動の生涯」展が開かれております。
普段は見られない、
官兵衛(如水)肖像画 3幅 (福岡市美術館所蔵、崇福寺所蔵、円清寺所蔵)
光姫肖像画 (京都国立博物館寄託 封土寺所蔵)
織田信長肖像画 (愛知・長興寺所蔵)
が特別展示されています。
講演参加者には観覧チケットが1,000円(通常料金1,300円)で提供されます。
福岡藩初代藩主である黒田長政公の命日に当たる8月4日、菩提寺である崇福寺において
ご法要が執り行われました。朝からの雨の中を藤香会会員と一般の参詣者100名が長政公の位牌の前で焼香し、藩主の冥福を祈りました。
その後、NHK福岡放送局長の田口五朗氏が「軍師官兵衛」にちなみ、今までの長政の登場した場面を振り返りながら、長政の初陣後の活躍する場面について今後の放映される内容の一部分の話をしました。
この様子は、西日本新聞8月5日朝刊に掲載されました。
長政公392回御忌ご法要
前列右より、山崎拓藤香会会長、中島敏行藤香会顧問、毛屋嘉明藤香会副会長、
伊達健太郎黒田奨学会理事長、石井幸孝福岡城市民の会理事長、
田口五朗NHK福岡放送局長
講演される田口五朗NHK福岡放送局長
祭壇の様子
法要の様子
7月19日に黒田家の菩提寺である崇福寺で博多部ランド協議会主催の“博多っ子講座”の講師を務められました。
演題は「黒田官兵衛と黒田家墓所」で、放映中の「軍師官兵衛」を引き合いに官兵衛の教え“水五訓”や黒田長久様の「わが祖 如水」の紹介に続き、藤香会の趣旨・目的やこれまでの歩みについて話をされました。
黒田家墓所については、昭和25年の大改葬や平成17年の西方沖地震での墓石の倒壊とその修復について詳しい説明がありました。そして今年の福岡市への墓所の寄贈に至る経緯が語られました。
参加した70名の聴衆は1時間、話に引き込まれ、熱心に聞き入っていました。講座終了後も数名の方が手を挙げて質問をしていました。
その後墓所に回り、歴代藩主の墓石を見て、ここでもメモを取ったり質問をしていました。
講演をされる中島顧問
熱心に聞き入る参加者
当日配布されたレジュメ