忠之公の363回御忌法要

2代藩主忠之公の第363回御忌ご法要が命日に当たる2月12日、墓所のある博多・東長寺で行われました。

例年、藤香会の会員だけで執り行われていましたが、今年は長髙様が参列され、会員50名とともに2代藩主忠之公、3代藩主光之公、8代藩主治高公のご三方の霊に焼香をされました。参列者が50名だったこともあり、本堂で行いました。その後、境内にある三藩主の墓所で焼香をいたしました。

DSCN0295s

法要終了後、長髙様の挨拶

東長寺の藤田紫雲住職の「東長寺と黒田家」と題しての卓話がありました。長政公が子息忠之公の幼少の教育を真言宗の僧侶に任せたことが、長じて忠之公が真言宗に帰依されたこと。光之公は父親の菩提を弔うため同じお寺にお墓を作られたこと、8代藩主治高公は四国丸亀の京極家から黒田家に入られた方で藩主になられて間もなく若くしてお亡くなりになったため、実家の宗派の真言宗のお寺に葬られたこと。真言宗の開祖は空海上人で、出身地の四国は真言宗のホームグランドと言われるところだそうです。

DSCN0288s

東長寺住職 藤田紫雲師の法話

 

中島敏行顧問、逝去のお知らせ

現・藤香会会員の中で、もっとも藤香会のことを知っているといわれた中島敏行顧問が、平成27年12月19日、88歳で長逝されました。

その2か月前の10月20日開催の定例理事会では、いつもと変わらず顧問として、いくつかの助言をいただいたばかりでした。この日の会議の中で、「私は藤香会に半生をかけました」という言葉がありましたが、理事一同、顧問の一途な藤香会への思い入れの強さを改めて実感したことでした。

中島顧問は、本会副会長の重責を勤められた期間だけでも昭和61年から平成23年まで26年間あり、文字どおり藤香会に「半生」をささげられたのでした。

顧問の口癖は、「今の福岡があるのは黒田のお殿様のお蔭」「昔のことを知ってのこそ今のことがわかる。温故知新を忘れてはならない」でありました。

顧問は、個人としてはつねに謙虚な心を大切しておられましたが、同時に「武士は食わねど・・」の潔い気位もお持ちで、藤香会運営の中核として余人に代えがたい師表でありました。

藤香会の歩みのなかで、中島顧問の功績は枚挙に遑(いとま)はありませんが、在りし日の氏の高潔な志のこもった言葉を思い出すことが、故人に対する何よりの追悼ではないでしょうか。

(理事・平田善積記)

黒田佐兵衛(翠峯宗玉童男)350年忌

10月25日(日)、黒田光之公の三男で夭逝(6歳)された黒田佐兵衛様の350年忌が、黒田監物(けんもつ)一族の菩提寺である妙楽寺で執り行われた。当日、妙楽寺では開山忌と藤蔭流の大茶会も同時に催された。法要は黒田長髙様はじめ多くの檀家(約80人)のほかに藤蔭流会員の和装の婦人(約20人)も多数出席され、厳かの中にも華やかな式典となった。藤香会から山崎会長はじめ毛屋副会長、中島顧問、田島事務局長ほか大島、篠原、近藤、原の各理事が出席した。

法要は開山忌から始められ、臨済宗大徳寺派のお寺から出席された20人ほどの僧侶の読経が本堂に響き亘り、圧倒される。引き続き黒田佐兵衛様の350年忌となり、黒田長髙様から一人ずつ藤香会の焼香となったが、多数の檀家さんたちは持ち回りの焼香でした。

037s

ご法要の様子

016s

妙楽寺での出迎え

045s

黒田左兵衛様のお墓

法要が終わり、多くの僧侶が退席された後、黒田長髙様が檀家の皆さんにご挨拶され、山崎会長からは藤香会のお話をされた。その後故人を偲びお斎に入り、妙楽寺の檀家と藤香会との交流の場となった。

法事の始まるまでの時間を利用して、開山堂に隣接する「開山堂侍真寮」で黒田長髙様と一緒に藤香会員も藤蔭流の煎茶のおもてなしを受けた。その後渡邊住職から本堂の裏手にある黒田佐兵衛様のお墓を始め、黒田家重臣の墓石、神屋宗湛の墓地を案内して頂いた。

007s

藤蔭流による煎茶の接待

*妙楽寺の掲示板

正和5年(1316年)の開基とされ、山号を石城山と号します。山号の由来は、当時海浜の石累上に堂々営構された当寺が、海上から見るとまるで石城のように見えたことに因むものです。創建当初は博多湾岸の沖の浜にあり、遣明使一行が宿泊するなど重要な外交施設の一つでした。天正14年(1586年)に一時消失しますが、慶長5年(1600年)福岡藩初代藩主黒田長政の入国後、この地に移転されました。墓所には黒田家重臣の墓石が立ち並び、博多の豪商神屋宗湛の墓が残ります。

*黒田長髙様の挨拶

「妙楽寺を訪ねるのは初めてですが、渡邊住職には崇福寺で何度もお世話になった。掃除の行き届いたお墓を案内して頂き、住職のお話を聞き、黒田家との縁が深いことを感じた。」038s

*山崎会長挨拶

「藤香会は、黒田家の顕彰と歴史を学ぶ会です。多くの黒田家所縁のお墓のほかに神屋宗湛のお墓があるのには感銘を受けた。」

史跡巡りのバスツアー

10月13日、天気に恵まれて会員26名が、福岡藩の支藩東蓮寺藩のあった直方市に向かいました。

地元直方の歴史を語る会“とおれんじ”の榊事務局長さんをはじめ会員の方の懇切丁寧な説明と案内により、直方藩主館跡、雲心寺、西徳寺、多賀神社、石炭記念館、近津神社などを見て回りました。

直方は、福岡藩初代藩主長政公の四男高政公が4万石を与えられ東蓮寺藩として始りました。二代之勝公も三代長寛公もそれぞれ福岡藩の忠之公、光之公の実子で東蓮寺藩へ養子となり、藩主を相続します。長寛公は福岡藩に迎えられ、綱政公として四代藩主となります。直方藩は光之公の四男を養子として迎え、四代藩主長清公となりますが、この代で再び廃藩されました。

東蓮寺藩は三代長寛公の時、直方藩と改称されます。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

西徳寺前での記念撮影

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

西徳寺にある貝原益軒の銘のある梵鐘

 

寺雲心

雲心寺にある直方藩主の墓所で記念撮影

 

近い

近津神社にある「黒田二十五騎」の大絵馬

 

昼食

皆でおいしいお昼を (直方いこいの家で)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直方は、福岡藩初代藩主長政公の四男高政公が4万石を与えられ東蓮寺藩として始りました。二代之勝公も三代長寛公もそれぞれ福岡藩の忠之公、光之公の実子で東蓮寺藩へ養子となり、藩主を相続します。長寛公は福岡藩に迎えられ、綱政公として四代藩主となります。直方藩は光之公の四男を養子として迎え、四代藩主長清公となりますが、この代で再び廃藩されました。

東蓮寺藩は三代長寛公の時、直方藩と改称されます。

全国藩校サミット福岡大会、開かれる

江戸時代に各藩が設置した藩校の教育を現代に生かそうという「第13回全国藩校サミット福岡大会」が10月3日福岡市のホテルニューオータニ博多で開催されました。およそ1,400人が参加し、藤香会からも10数名の会員が出席しました。

全国から旧藩主の当主32名も出席され、福岡藩からは第16代当主黒田長髙様が大会名誉会長として参加されました。

大会は「グローバル時代を拓く藩校の息吹」をテーマに、漢字文化振興協会の石川忠久会長が、福岡藩出身の金子堅太郎について講演され、講談師の神田紅さんは講談で会場を沸かせました。

福岡藩の藩校であった修猷館高校OBによるパネルディスカッションも行われ、最後に「和魂洋才の精神を未来にわたって教育の場に醸成する」という福岡宣言を採択して閉会しました。

次回は、来年11月に福岡藩8代藩主治高公の実家(多度津京極家)である香川県丸亀市で開催されます。

長髙様挨拶

サミット会議での大会名誉会長黒田長髙様の挨拶

会議   藩主を交えたサミット会議の模様

藩主

壇上の旧藩主家の当主の方々

藤香会1

参加した藤香会会員

藤香会2

参加した藤香会会員

歴史勉強会が開催されました

恒例の歴史勉強会が9月18日(金)午後1時30分より福岡市博物館 1階講座室で開催されました。会員と一般市民の方60名が熱心に聞き入っていました。

講師は博物館学芸員の高山英朗先生で、「関ヶ原の戦いと黒田長政」と題して1時間半の講演をいただきました。

関ヶ原合戦には直接触れず、戦前と戦後における黒田長政の動きを中心に説明されました。

戦前には、西軍に与することになった毛利輝元や従兄弟の吉川広家の領国安堵の約束を家康に取り付けて、実質的に参戦できなくしたこと。小早川秀秋を西軍から寝返らせて東軍に数的に優位の状況をもたらしたことなど、長政や相手方の血判起請文の古文書を提示されて説明されました。

また戦後は大坂城請取のため、大坂城西の丸に在陣していた毛利輝元軍を撤退させ、大坂城を無防備に近い状態にしたこと、大坂城下の治安回復のための法度(法律)を作るように家康より指示された文書も提示されました。

このように戦後手続きをうまく処理したことも、筑前52万石という大藩を預ることになった原因ではないかと思うと話されました。

20150918-1

受付の浜田理事と松尾事務局員

 

20150918-2

毛屋副会長の挨拶

 

20150918-3

講師の高山英朗福岡市博物館学芸員

 

20150918-4

熱心に聞き入る参加者

 

開催中の「大関ヶ原展」の観賞券を特別料金の1,100円(通常1,300円)で販売し、多くの人が求めました。

長政公の第393回御忌法要が執り行われました

8月4日の長政公の命日に当たり、長政公のご法要が崇福寺で執り行われました。

今年は16代当主黒田長髙様を迎えて、藤香会会員約70名が参列して行われました。

長政公の肖像が掲げられた本堂で岩月海洞老師の読経の中、長髙様を初め参列者がご位牌の前で焼香をしました。

その後、黒田家墓所に向かい、僧侶の読経が続く中を墓前で順次焼香を行いました。

長髙様は挨拶で、「黒田家墓所は福岡市に寄贈したが、実際に守ってくれたのは藤香会で、感謝したい。これからも大事にしていってほしい。」と話されました。

中島顧問は、「福岡市の基礎を築いた如水公、長政公の遺徳を顕彰し、業績を語り継いでいきたい。」と述べられました。20150817記事-1

本堂で焼香される長髙様

20150817記事-2

焼香の後、挨拶される長髙様

20150817記事-3

長政公墓前での焼香

会員東旭秀(恵美)さんの相島での演奏会

本会会員の東旭秀(恵美)さんの筑前琵琶の演奏会が7月23日(木)に相島で開催されました。

朝方の雨が晴れ上がり、会場の相島きずな館には100名くらいの人が詰め掛けて熱心に聞き入りました。当会会員の姿も見えました。

相島は江戸時代に朝鮮通信使の寄港先となり、福岡藩からも家老をはじめ多くの藩士、儒学者などが応接をしました。現在でも島民はわずか300名程度ですが、朝鮮通信使が立ち寄る際には、朝鮮通信使一行が500名、対馬藩からの警護が500名、福岡藩からの応接が4~500名で、島には2,000名近くの人が滞在したことになります。

東旭秀さんは、当会会員の中村旭園先生の弟子で大師範の肩書をもつ筑前琵琶の第一人者です。

相島きずな館では「羅生門」の語りを、配布された資料を基に解説をされた後、演奏をされました。

東旭秀-20150724-1「羅生門」を演奏中の東旭秀さん

 

 

 

 

 

 

東旭秀-20150724-2解説を熱心に聞き入る参加者たち

 

東旭秀-20150724-3演奏を終えて、相島きずな館玄関前

 

その後、観客のみんなと一緒に筑前琵琶の伴奏で「黒田節」と「荒城の月」を合唱しました。

間近で演奏を聞くことができ、また東さんの表情や息遣いなどを拝見でき、感激の様子でした。

きずな館での演奏を終えて、近くの神宮寺(浄土宗)で仏前奉納として「敦盛」を演奏されました。神宮寺は朝鮮通信使寄港の際、筆頭家老黒田三左衛門(美作)が宿泊したところです。

東旭秀-20150724-4神宮寺の仏前奉納演奏中の東旭秀さん (「敦盛」)

東旭秀さんの今後の活躍をお祈りいたします。