博多どんたく(博多松囃子)の祝いの口上

博多どんたくは5月3日と4日に博多と福岡の街で繰り広げられました。3日は雨天でパレードは中止となりましたが、4日は打って変わっての晴天で街中、賑わいました。

藤香会では4日、福岡城市民の会、黒田奨学会と並んで福岡城下の橋御門で三福神(福神流、恵比須流、大黒流)の博多松囃子の祝言を受けました。習わしに従って三福神へそれぞれ一束一本(半紙一束と白扇一本)の返礼が山崎会長より渡されました。

三ノ丸に設けられた演舞台では稚児舞があり、黒田長髙様への祝言の口上が述べられました。

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福神流の福禄寿

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大黒流の大黒天

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大黒流の祝いの口上を受けられる山崎会長

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返礼の一束一本

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稚児舞の出演者と長髙様

如水公第413回遠忌法要が執り行われました

藩祖黒田如水公の命日に当たる3月20日、墓所のある福岡博多・崇福寺本堂で第413回御忌法要が、16代当主黒田長髙様をはじめ藤香会会員61名の参列を得て厳粛に執り行われました。岩月海洞老師の読経の中、祭壇に設けられた焼香台に合掌・焼香を行ないました。

本堂での法要終了後に裏手にある墓所に向かい、如水公のお墓の前で焼香を行いました。

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参列者の会員

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岩月海洞老師の読経

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16代当主黒田長髙様の挨拶

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如水公墓前での焼香

 

これに先立つ午前中に長髙様は西公園の光雲神社と糸島にある桜井神社に参詣されました。藤香会から毛屋副会長、天本理事が、黒田奨学会から伊達理事長、田中事務局長が同行しました。

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手水で手を清められる長髙様

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光雲神社に奉納された橋本フサヱ氏の如水公と長政公の日本画

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桜井神社で記帳される長髙様

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桜井神社にある伊勢神宮に向かわれる (鳥居は昨年3月21日に三重・伊勢神宮より移建された)

黒田家文書、ユネスコ世界記憶遺産に申請

黒田家第14代当主長禮様から福岡県に寄贈され、福岡県立図書館が所蔵する黒田家文書のうち、宝暦13年、14年(1763、1764)の第11回通信使の接遇を記録した「朝鮮人来聘記」11冊と「朝鮮人帰国記」4冊の計15冊が、日韓共同でユネスコ世界記憶遺産に近く申請される朝鮮通信使に関する史料(全111件333点)に含まれた。これらの黒田家文書は、平田会員(理事)が参加された「福岡地方史研究会 古文書を読む会」によって翻刻(活字化)されている。

江戸時代に12回にわたって朝鮮王朝から幕府に派遣された朝鮮通信使を福岡藩は相島(福岡県新宮町)で受け入れ、準備や応接を行った。通信使一行およそ500名、対馬藩およそ400名を迎え、福岡藩からも数百名が相島に渡った。

貝原益軒も出向き、朝鮮側の儒者から朝鮮における李退渓学派の事跡、著述のこと、学校、科挙のことなどを尋ねた。また同行の儒学者と詩文を取り交わす唱和をして交流を行った。

享保の第9回の場合は、一日の食糧が「活雞(生きた鶏)三百余、雞子(卵)二千余個」が消費されたと来朝者側の記録にある。

福岡県からはもうひとつ豊前小倉の小笠原文書のうち、第12回通信使の時に藩主小笠原忠固が対馬まで上使として出向き国書交換を行った時の記録「對州御下向海陸日記」と「對州御滞留日記 文化八年忠固公朝鮮使接待役」も申請された。「對州御滞留日記 文化八年忠固公朝鮮使接待役」は福岡市の「対馬文書を読む会(原順子氏主宰)」によって平成24年に翻刻されている。

福岡藩のおひざ元である福岡市が所蔵する文書・図画類が申請する史料の中にないのは残念なことである。数年前までは福岡市博物館に朝鮮通信使のコーナーがあり、展示がなされていたにもかかわらず。

如水公法要を前に墓所の草刈りを実施

3月20日の如水公法要を前に、13日くもり空のもとで、会員40名の参加を得て黒田家墓所の草刈りと清掃に精を出しました。

一昨年福岡市に寄贈されたため市による草刈りが年3回実施され、またこの時期は草がそれほど茂っていないこともあり、10時には早々と終了しました。刈り取った草や集められた落ち葉は、太田和孝会員の指導で墓石の周りに植栽されている桜の木の根元に集められて保温と肥料になります。

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参加した会員

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参加した会員

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終了後、参加者全員で記念撮影

 

 

 

 

 

会員東旭秀さんの演奏会日程決まる

会員であり、筑前琵琶奏者であります東旭秀さんの今年の演奏会の日程が決まりました。

詳細についての問合せ先は、

東旭秀さん    電話 092-581-3409

         携帯 090-5025-5208

 

2月27日(土)     太宰府天満宮「余香殿」 10時半~  

太宰府天満宮崇敬会国際婦人部主催

日華親善「観梅会」の担当紅梅委員として、懇親会時に(祝賀の曲)

 

 4月23日(土)     箱崎水族館喫茶室  15時半~17時

第6回ライブ 「筑前琵琶の底力」と題して

(源平絵巻き;綱館  ;また、皆さんと一緒にどんたくまつばやし;絵とのコラボレーション)など

 

8月  6日(土)      太宰府ふれあい館  時間 午後の予定

「歴史展オープニング」として(岩屋城覚悟の別れ) (野村望尼)他、

 

7月  1日(金)      箱崎水族館喫茶室    13時~15時

第7回ライブ 「あら!高!ランチ琵琶;ランチをしながら気軽に、琵琶を体験してみませんか?」

 

10月 8日(土)     箱崎水族館喫茶室    15時半~17時

第8回ライブ  「筑前琵琶で語る!そして舞う!」と題 して (あぁ無情;お蝶婦人他)

 

奏者の最近の表情 (平成28年2月12日 忠之公のご法要の折)

於 博多東長寺

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長髙様、宗像大社に参詣

忠之公ご法要の翌日13日、長髙様は宗像大社に参詣されました。宗像大社では葦津幹之権宮司が出迎えられ、宗像大社は天照大御神の三女神をお祀りして日本の神話時代からの歴史と黒田家との関係についてお話しをされました。その後、神宝館を見学され、沖の島から出土した8万点におよぶ国宝の数々に驚いておられました。沖の島とその関連遺産群(古墳)は今年、ユネスコの文化遺産に申請される予定で、来年7月頃には世界文化遺産として認定されるようです。

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葦津幹之権宮司の出迎えを受けられ、本殿前で記念撮影

 

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正式参拝

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「神宿る島 沖の島」の模型の前で説明を受けられる

 

 

宗像大社参詣の後、近くの鎮国寺、福津市の宮地嶽神社に参詣されました。

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鎮国寺に参詣

 

藤香会からは、毛屋副会長、田島事務局長、平田理事、大島理事、事務局松尾さんが同行しました。

 

忠之公の363回御忌法要

2代藩主忠之公の第363回御忌ご法要が命日に当たる2月12日、墓所のある博多・東長寺で行われました。

例年、藤香会の会員だけで執り行われていましたが、今年は長髙様が参列され、会員50名とともに2代藩主忠之公、3代藩主光之公、8代藩主治高公のご三方の霊に焼香をされました。参列者が50名だったこともあり、本堂で行いました。その後、境内にある三藩主の墓所で焼香をいたしました。

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法要終了後、長髙様の挨拶

東長寺の藤田紫雲住職の「東長寺と黒田家」と題しての卓話がありました。長政公が子息忠之公の幼少の教育を真言宗の僧侶に任せたことが、長じて忠之公が真言宗に帰依されたこと。光之公は父親の菩提を弔うため同じお寺にお墓を作られたこと、8代藩主治高公は四国丸亀の京極家から黒田家に入られた方で藩主になられて間もなく若くしてお亡くなりになったため、実家の宗派の真言宗のお寺に葬られたこと。真言宗の開祖は空海上人で、出身地の四国は真言宗のホームグランドと言われるところだそうです。

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東長寺住職 藤田紫雲師の法話

 

中島敏行顧問、逝去のお知らせ

現・藤香会会員の中で、もっとも藤香会のことを知っているといわれた中島敏行顧問が、平成27年12月19日、88歳で長逝されました。

その2か月前の10月20日開催の定例理事会では、いつもと変わらず顧問として、いくつかの助言をいただいたばかりでした。この日の会議の中で、「私は藤香会に半生をかけました」という言葉がありましたが、理事一同、顧問の一途な藤香会への思い入れの強さを改めて実感したことでした。

中島顧問は、本会副会長の重責を勤められた期間だけでも昭和61年から平成23年まで26年間あり、文字どおり藤香会に「半生」をささげられたのでした。

顧問の口癖は、「今の福岡があるのは黒田のお殿様のお蔭」「昔のことを知ってのこそ今のことがわかる。温故知新を忘れてはならない」でありました。

顧問は、個人としてはつねに謙虚な心を大切しておられましたが、同時に「武士は食わねど・・」の潔い気位もお持ちで、藤香会運営の中核として余人に代えがたい師表でありました。

藤香会の歩みのなかで、中島顧問の功績は枚挙に遑(いとま)はありませんが、在りし日の氏の高潔な志のこもった言葉を思い出すことが、故人に対する何よりの追悼ではないでしょうか。

(理事・平田善積記)